沖縄の観光スポット 2

旧海軍司令部壕 平和の願いと祈りをこめて、過酷で悲惨な戦争を伝えます。 旧海軍司令部壕は日本で唯一住民を巻きこんだ地上戦が行われた沖縄戦の日本海軍沖縄方面司令部のあった所で、
一部が現在公開されています。約4,000名の兵士が壮絶な最後を遂げた壕内は、司令官室、作戦室などが当時のまま残され、戦争の悲惨さ過酷さを訴え、平和を願う場となっています。資料館では、発見された遺品や写真などが展示されています。

ひめゆりの塔 ひめゆり学徒は沖縄師範学校女子部と第一高等女学校の生徒で構成されていた。 1945年5月25日に撤退命令が出た南風原陸軍病院からなんかしてきたひめゆり学徒は本部、太田、第一、第二、第三の各外科壕に配属された。6月18日ひめゆり学徒の解散命令がでた。翌19日、脱出のため、現在ひめゆりの塔がある第三外科壕に集合したが、ガス弾をぶちこまれ多数の死者を出した。 解散以前は軍とともに行動していたが、解散後は避難民の同じように砲撃の中を逃げ回る事になった。ひめゆり学徒の死者は解散後に多く出ている。 ひめゆり資料館 資料館に入ってすぐに年表がある。これは、ひめゆり学徒の犠牲の事実を展示する前に、戦争を引き起こした背景から伝えようとするものである。当時の徹底した皇民化教育が悲劇の根底にあったことがわかる。 また資料館ではひめゆり学徒の生存者が展示の説明、体験などを語っている。

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